道家医学気功 氣功神田 080-5293-3315

営業時間(完全予約制) 月〜土/  8:30〜21:00

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2023年05月11日宮古島 氣功ワークショップ 私の覚醒〜私を生きる愛の周波数〜

沖縄の海を前にして、氣を取り入れるのはすっごい気持ちいい。
ただただ、そのまましばらく、じーーっと氣を感じていたくなる。



空と海と自分が一体になった感覚になる。
普段は難しい感覚も簡単に引き出してくれる。

宮古島は氣の場がとても整っていて、穏やか。相当に良い。
誰にでもすぐ氣ができるようになる要素がそろっている。
そこに氣を周知するインストラクターさえいれば、
氣を感じることはとても簡単。

氣が及ぼす影響を体で理解して、
大神島という聖地や、氣の良い場所で、氣を感じて、取り入れてみる。
新たな人生を楽しむ価値観とこれまでにない感性と感覚が生まれる。

氣の感じ方や動かし方を学んで、セラピーしてみる。
条件がそろっているから、誰でもどんどんできるようになる。

<一家にひとりの風邪や腹痛や軽いケガ専門の手当てセラピストになりたい人に>
パパ・ママの手は、絶対なる安心感がある。想いも伝わる。
氣を使える手当はすごい。信頼感もハンパない。

<ペットや植物を育てる人に>
ペットにも手当ができる。想いも伝わるから、より好かれるようになる。植物にも氣を分けられる。植物も動物も元気になる。

<セラピストに>
セラピストは、手に氣をまとうようになる。
手技の威力は倍増する。
道具にも氣を込められる。自分の思いも乗せられる。
何故?というくらい結果が良くなる。

<あなたの人生に>
氣は、人、物、事、場所とのご縁を繋げてくれる。
人生を良い方に、望むように転がしてくれる。
運も勘もタイミングも良くなる。
氣が動けば健康、元気にもなる。

神社で氣を感じられるようになったり、スポットの氣を感じられるようになる。

宮古島でなら、この機会なら、誰でも短時間で氣功ができるようになります。

これいいかも。って思う人は、特に間違いなくそうなります。

宮古島の氣の場って、すごいんです~♪





~内容・スケジュール・料金~

①7月2日 19時~22時 19,800円
・トランスミッション1st
(氣の伝授・氣が通る体にする)
・氣のボールの作り方(氣と親しむ)
・.動功(体の動きと意識で氣を動かす)
・合気(思う影響力と体感で氣を身近にする)
・手当ての練習
・氣でのストレッチ

②7月3日 7時30分~12時 19,800円
 課外授業
・トランスミッション2nd
(氣の感覚を高める)
・外での氣功の活かし方を身につける。
・神社での願いのかけ方を身につける。
パワースポットで氣を感じ、取り入れる。
氣の場がある場所とそうでない場所の体感をする。風と大地と空と一体になる

③7月3日 13時~17時   19,800円
・トランスミッション3rd
(氣の質の変化を可能にする)
・瞑想
・静功(意識で体の内外の氣を動かす)
・氣の質の変化(木火土金水への変化)
・手当て(氣の変化を利用する)
・鍼と同等の指圧の方法

④1日夜、2日目の夜(フリー)
①、②、③ いずれかに参加した方どなたでも。遊びながら、雑談しながら、なんでも気楽に氣功の話を聞ける時間です。
手技や色んな事への応用方法でも、
ちょっぴり施術体験でも、
未確認飛行物体とかの話でも、
なんでもお話ししましょう。

全てセットで受ければ、氣の感覚バリバリに育ちます。うおー‼️

ローカル(地元参加)料金
①+②+③=33,000円
①+②=33,000円
①+③=33,000円
②+③=33,000円
ビジター(来島者)料金
38,500円から
 宿泊費は人数割りになりますので変更有です。あらかじめご了承下さい。食事代、船代は含まれません。相乗り希望の場合、レンタカー代と燃料費は人数で割った金額を当日集金します。

尚、参加費用は、6月中旬以降に料金が確定し次第銀行振込にてお願いします。キャンセルポリシーは開催より日数が少ないこともあり、参加申し込み時より100パーセントとさせて頂きます。

<7月4日の予定>
ご希望者には、世界有数のサンゴ礁を誇る、八重干瀬シュノーケリングツアーの申し込みが可能です。(ホントに最高です。)
ワークショップ申し込み時に希望の方はお伝え下さい。
料金はおひとり様11,500円です。
本ワークショップアシスタントのすずさんが、ナビゲート致します。

~講師の紹介~

神田一郎(氣功家・元作業療法士)
静岡県富士市出身。氣功神田にて氣功の学校、氣功施術、遠隔氣功、レイキセミナーなどを生業にしています。氣功神田のコンセプトは、「私が私を生きる幸せを感じられる人生に」。
元々、非言語的な世界や氣などのエネルギーの世界などは不得意でした。氣の感度も低く不器用だったと思います。そのおかげで、氣功を体の体験を通して、系統立てて伝承することに、相当に長けていると思います。氣功を26年間(継続中)続けられたこともあり、現在は日々気づきと進歩を繰り返し、施術では一瞬の勝負ができる程になりました。一家にひとり氣功家を育て、氣功で世界を平和に貢献することが、氣功神田の目標です。




参加申し込みは、氣功神田メールまで。
qigongkanda.1689@gmail.com


https://facebook.com/events/s/%E5%AE%AE%E5%8F%A4%E5%B3%B6-%E6%B0%A3%E5%8A%9F%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%95-%E7%A7%81%E3%81%AE%E8%A6%9A%E9%86%92%E7%A7%81%E3%82%92%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E6%84%9B%E3%81%AE%E5%91%A8%E6%B3%A2%E6%95%B0/254504507133044/  

Posted by 気功神田 at 17:15

2022年06月28日生きていく上でなるべくしない方が良いこと

答えから言いますと、
いかなる時も自分を泣かせてはいけない。
ということです。

理性的に周りを意識し、空気を読み、気にして生きていると、私達はいつの間にか自分の心が置き去りになりがちです。

心の特徴はこんなことが挙げられます。

自分の都合良く解釈し思い込もうとする。
観たいものしか見ない。
感情や気分に流されやすい。
恐怖心に支配されやすい。
短絡的な欲望に弱い。

自分を泣かせないとは言葉より難しいもので、その方法は、自分の心の在りようをありのまま観ることです。(なんだか、もののけ姫のエボシとあしたかのやりとりを思い出す…。(笑)エボシが笑っていたのはそういう事かぁ…。)

在りようを観るとは、自分の本当の声を聴くということです。

しかし、慣れないうちはこれが中々聞こえないのです。人間の精神は、理性の作る自分にとって都合の良い理屈や感情が、うま〜く心の声を掻き消すようにできています。

人間は、恐怖に支配されるし欲にかられます。

ロシアとウクライナの戦争も、よく見ると西欧諸国+アメリカと、ロシアの恐怖心と欲望、
それに、ウクライナの恐怖心と欲と誇りが板挟みになっているのかな?と感じます。
(でもそれは指導者達の話で、指導者達の変わりに軍人や市民が殺し合うのが戦争…。)

自分の心を泣かさないという話に戻りますが、それを見逃さないためには、人とのやり取りの後や最中に強い怒りを感じた時にそれを見逃さないことです。それは、心を偽った行動や言動によって起こることが多いです。

怒りは二次的な感情ですので、その裏には憂い、悲しみ、傷ついた心があります。
この傷ついた心が自分の涙です。

その傷ついた事をただ誰かに聞いてもらう。
自分で自分にお話しして、「傷ついたんだね。」と理解してあげる。
あれは傷ついたんだ、と素直に相手に伝える。
そうすると、泣いた心は元気になれます。
勇気が必要ですが、自分の心の為に勇気は使うものだと思います。

怒りをぶつけると怒りで返ってきますので、心を昇華できません。

そして、それを繰り返していると、自分は何をどう思っていて、何にこだわっているのか、本当の声が聞こえてきます。

そうなれればしめたものです。
  

Posted by 気功神田 at 18:10

2022年06月28日日本人がスポーツで世界に渡り合うには

日本人って身体小さくて、
筋肉も硬くて、柔軟性に欠けます。 

そういう身体のDNAだから仕方ないことなのですが、でも、先人達や武士の身体の使い方は、それらをあまり補う程のものがあるようです。

今のスポーツ、柔道なんかもそうですが、
殆どの競技は筋力やバランスで勝負の傾向にあると思います。

私はサッカーの観戦が特に好きですが、
もし、日本人選手が筋力で踏ん張っていなければ、身体の大きな外国人が相手でもあんなに倒されることはないでしょう。

踏ん張らない身体、脱力した身体は、
重力を味方にできるから重くなるのです。

でも、人間の発想は、+(プラス)が多い。
これにこれを加えれば…、といった。

踏ん張って力が入った身体の場所より上の身体は
、その力が重さを支えます。
だから重くならないのです。

外部から脱力した身体に力を加えると、
加わった力は、
踏ん張って力の入った身体の部位が
支えることになります。

脱力していると、
加えた力は地面に入り、
力を入れた側は自滅します。

そして、脱力した身体の人間は気配が薄くなる。

何故なら、力み、力、というのは、
状況、対人、自身の心への反応だからです。
外部への心の反応、意識が力となるからです。

柔軟性が低い身体とは、
身体の連動性、全体の繋がりが薄い身体。
力んで頑張って、繋がりが途切れた身体です。
関節の柔らかさとは、
その単体だけで出すものではなく、
身体の連動性で出すものです。

連動性は意識が出してくれます。
脱力も、力むことを認識し解放できる意識です。

脱力することを身につければ、
世界に通用するスポーツ選手は、
更に増えるのではないかと、
近頃よく思います。  

Posted by 気功神田 at 18:09

2022年06月28日知識が邪魔になる時

そろそろ、そんな領域になってきているような。

身体を良い状態にしようという時、
特に氣で整える方針で施術する場合は、
お客さんの身体の方へ意識が行ってしまうと、
変化が乏しくなる。

何が起きているか、何をするのかが
明確な場合に身体に意識が置かれていても、
そういう場合は良い結果に繋がりやすい。

わかっていれば良いんだなぁ。
というのが最近わかってきた。

でも、氣功を求めてくるお客さんというのは、
大半が病院で病名がつかなかったり、
色んなところで治療して治らなかったりで、

それじゃあ、
ダメ元で氣功を採用してみようか、とか、
氣功なら道があるかも知れない、
というような感覚で来られる方が殆どです。

施術では、氣で身体の中を探り、オーラを探り、何が不調の根源なのかを見定めていきますが、

しかし、私の場合、MRIやCT、レントゲンのようには行かず、氣を通した感覚からから、
例えば胃と腎臓を見分けられるわけでは
ありません。

反応する場所と痛み、訴えるニュアンスで
見分けられる時も勿論ありますが、
中身もわからずやってくる、
なんだかよくわからない不調は、
それ故に見分けが難しいのです。

(世の中には画像的な感覚で頭の中に視える人もいるようですし、手の感覚をもっと磨くことができれば違うのかも知れません。)

そして、先に書いた通り、
診立てが不十分だと結果に繋がりにくい。

ピントが合わせられないと、
氣の作用が十分に行き渡らない。

故に、結果を求めるに当たって、
医学の知識をその時だけ捨てる方針が
頭に浮かんできました。

それは、身体を意識せず、
身体をエネルギー体の体の形として捉え、
その色、音、流れ、振動などの不協和を捉え、
変換し、和音に変える。

氣は思うことで、情報であり、
情報とは、音、音階、パルス、色、振動、流れ、エネルギー、粒子など、全て含むものです。
だから可能なのです。

サーモグラフィーみたいな感じに、
私の頭の中で変換するのです。

例えばこんな風に…。

↑こんなに明確には行くものではないですが…。

氣を捉え、氣を整えるほうが、
焦点が定まるため、
難しいものも結果に繋がりやすくなるわけです。

それにしても、
医学の知識を一瞬でも手放すのは
自分にとってはかなり怖いもので、
どこかでリハビリ国家資格有資格者
(作業療法士)という意識が
働くのも感じます。
そこで培ってきた知識をすてるのか?!と。

施術の時の発想、施術の発想ではあります。
しかし、普段から肉体の意識は外しつつ、
氣として人をみなければならないので、
そこが難しくもあるわけです。

氣だけ、というと施術の説得力が無くなる。
一般の人は氣ありきではありませんから。
ただ、結果の出せない氣功など用はありません。

元々、奇跡のような結果を求めて始めた氣功です。だから、捨ててしまうでしょうけどね。

捨てるって言っても使う時は使うし。
  

Posted by 気功神田 at 14:12

2022年06月28日何かを学ぶ時、確実に進歩するには

空っぽでなければ、何も入ってこない。
物が溢れていれば、いくら入れても溢れる。

そのまんまです。

私、受験生だった頃(もう大分昔…。)
ある参考書に出会ってから、
現代国語が得意になりました。

国語は、自分の主観が入るのに、
どうして求める答えが出せようか。
と、その前は思っていました。

結局、答えは文章の中に全てあるので、
自分で勝手な主観で何となく答えを決めつけないで、その中から探す。感情や感性で片付けない。
これができたら簡単になりました。

文章の中から答えを見つける事も、
教え手から何かを学ぶ事も同じです。

要は、相手の言わんとする事を理解する、
ということです。

主観は不要であって、
これはこうだろう、
これはあれと同じ、
これは知っている、
それはわかっている。
自分は大体既にわかっている。

そんな事を考えていると、
全然相手の言わんとする事が、
言葉で理解できても、
その意味の本質が入ってこない。

何かを学ぶ上で自身の何か小さなプライドは、
損はしても特にならないのです。

しかし、身に覚えがあります…。笑
偉そうなことは言えませんね。  

Posted by 気功神田 at 14:11

2021年11月19日思うまま生き、思えば成る人生にする

レイキ

Firstは、浄化をする。つまり、ゼロに戻す。
ゼロは、無。全ての有は無から生まれる。宇宙の始まりも無から揺らぎが生まれて有、宇宙となった。有を生むにはゼロが、無が必要です。その為の浄化がFirst。
また、Secondの中にゼロを保つ方法がセットされる。

Secondは、「思う」を習得する。
人間の中で最も常に変わり、常に揺らぐもの、全ての始まりの揺らぎは、心です。
心は、無から生まれた宇宙の始まりの揺らぎと同じ。
私達は、思えばなりたいものになる。行きたい場所に行く。したいことをする。
思うことで、無から有を作り出す。
思って有を作り出すのは、神の技です。
神は外には無い。神性は私達の中にある。

Thirdは、「気づき」を知る。
本来、思えば、変わっています。
でも、変わったことに気が付けない。
私達は、現実がまだ遠い年齢の時、老いた自分を想像できない。
白髪の自分、髪が無くなった自分。動きができない自分。
知らない間に老いている。

毎日、毎時間、毎分、毎秒、老いを重ねている。
でも、気づかない。昨日と今日を重ねても気づかない。
でも、何年も後になれば気が付く。
でも、毎日、毎時間、毎分、毎秒と老いを重ねている。
変化をしているのに、気が付かない。

思えば叶う人とは、さっきと今の違いが分かる。
思ったら、変化している、その小さな変化に気づく力を持っている。
小さな変化の気づきを繋げて行くことができる。
小さな変化の気づきの連鎖は、いつの間にか、私達を思ったら成る世界に連れて行く。

私達は、本当は小さな変化に気づいている。
私達という生命体は、小さな変化に対してバランスを知らない間に取る。
何もしなくても、体が反応する。
全てはバランスで成立している。
そのバランスは、考えることではできない。考えるからできない。
考えれば、バランスは失われる。
バランスは小さな感覚を感じなければ取り戻せない。

物事も同じ。
考えずに、感じるまま、素直に動く。
考えすぎたら、力が入る。力が入れば変化に気づけない。
変化した心、変化した状況に気づけない。
小さな変化に気づけない。

ゼロになって、
行き先を決めることだ。
ゴールを決めることだ。
思うことだ。
思い、決めれば、無意識が働く。
無意識が気づかないうちにゴールに結びつく全ての行動を取らせる。
それは知らないうちに、微々たる変化を、現象を私達に見せる。
その現象に気づきを重ね、繋げることだ。
その連鎖の先に、私達の願う世界がある。
それが、願望成就というものだ。

思ったらならないと思うのは、気づきが足りないだけだ。  

Posted by 気功神田 at 02:57

2021年10月03日氣=質

氣=質

作法、武術で言えば型。
大切でありある意味、無用なもの。

例えばテーブルマナーや、席などのマナー(上座、下座など)も同様で、郷に入っては郷に従え、ということもありますので、不要とは思いません。

ですが、作法、型、マナーなどは、どうしても中身を置いてけぼりにしてしまう傾向があります。

全てにおいて大切なことは、型、作法、マナーの裏側です。つまり、想いです。どう思っているかです。即ち氣です。

マナーを例にするとわかりやすいですが、マナーができているからといって、相手や場に対して思っていることが無礼であれば、それは無意識に表に現れます。作法だけ良くても、嫌な感じになるのです。決して良い空間にはならない。

逆に、マナーがそれほど上手にできなくても、相手や場に対する敬愛、大切にしようという(自分本意ではない)想いがあるならば、無意識にその心は表現され、それはとても心地よい空間となります。

氣功の型も同じです。型ができる、覚えている、というのは、ただその世界の入り口が開いただけであり、その裏の型が語る本質に気づきを重ね、想いを重ねなければ、何の意味もないのです。

思うことは氣。氣を動かしているのは無意識です。その人、物、事をどう思っているかが無意識に表現されるところに、質が生まれます。思うは氣。氣は思うこと。つまり、質なのです。  

Posted by 気功神田 at 12:01

2021年10月01日氣功は本質

氣功は本質

どのような世界も、仕事も、スポーツも、武道も、生活も、突き詰めると氣の話になります。
氣とは「思う」ことです。思う故に人間は動きます。

例えば「~したい。」は希望です。「~する。」は決めたことです。
思うとは「~する。」です。
「私は~のプロになる。」「私は~の専門家になる。」「私は~で働く」思って、なります。
人間ならば必ずです。思わずしてそうなっても、最後は自分の意思です。

私は、氣功を深めるために合気道もやっていますが、合気の世界ならば例えば円の動きが大切です。
だから、円をきれいに描き動くことも大切ですが、一番大切なのは円を思うことです。
「ここに円があり、自分は円で、円の動きをするのだ。」そう思わなければ円の動きになれません。

商売だって同じです。お金を稼ぐために仕事をするのでは、起業はできないし、
失敗するのでやらない方が良いのです。
起業するということは、自分はこの商品で、サービスで、労働で社会と関わる、
コミュニケーションを取る、与えるという意味なのです。
結果お金になり、それが喜びであるから続けられます。

お金の為なら、続けられない、エネルギーも生まれない。方向性もブレる。ただ奪おうとするだけです。
だから、騙す、勧誘という形になり、場合によっては苦しみになる。

日常生活なら、ストレスのない生活というものを送るには、ここで言う「思う」、そうなる、そうする。
それがいつもできることがストレスにならない。

つまり、意思を通すことができること。

自分の正直な心の声を体現できる。我が儘とかではなく。
それは、簡単な事であり、行うのは難しい。
何故なら、人との関わりがあり、相手や場のグループの事を考えると、できないこともあるからです。
でも、状況が、誰が、と周囲のせいにして自分の決定を曲げていてはストレスはたまるばかりです。

私達は人にさせられた自分の行動に怒りや悲しみ、不快を感じます。
でも、こういう状況で仕方ないからとか、あの人が皆が言っているからとか、
そういう理由で自分の動向を決めているのは「自分の意思」です。思うこは「氣」です。

氣はこの世の理の本質に多く触れるものです。
それなのに、宗教(本当は宗教は悪いものではないですが。)だと言われたり、
怪しいと言われたり、勝手に表面的な印象で判断される。そんな事が多すぎる。
突き詰めれば全て「氣」になるのですけどね。いずれ、そういう感性が主になる世界がやってきます。
氣はやり方ではないから、中々その本質に気づく人は多くないですが、
でも、気づく人たちがこれから増えて行くだろう、と思います。

  

Posted by 気功神田 at 12:27

2021年03月01日目的を失う感染対策

姪がダンスの発表会だったそうです。
でも、無観客だったということ。

親も入れない。送迎だけ。

何故、感染対策をしているのか。
日本人は本当に形が好きです。
会社に勤めていても、社会を見ていても。

ダンスを習って、発表会をするのは何のためでしょう?子供は親に見て欲しいもの。
または、1番世話になっているひとにその成果を見せたいもの。

そういう場に出られるように、生き生きする場でいきいきできるように、感染対策しています。
親だって、自身が必要とされている場所に存在できるように感染対策しています。

プロは無観客でもまだよいです。
それが仕事で、それをどういう形でもお客様やファンに見せることが仕事なのですから。

一般人は違います。

1番したいことができなくて、
1番いたい場所にいられなくて、
何が感染対策なのだろうか?
と不思議になります。

感染の責任を逃れる為に、
大事な事を見せる責任を忘れています。
何かをしない事にも、同じように責任があることに気づいていない。

今、大切なことは何?
いつも自分自身にそう問う姿勢が大切です。  

Posted by 気功神田 at 00:54

2020年12月07日安全を他人に預ける

安全を他人に預ける

車を運転中、交差点での話

僕は右折待ちの2番目。
信号が青になってすぐに、
前の車が対向車が来る前に右折。

右折の横断歩道に歩行者。
車の軌道を見る限り、
車は歩行者を見落としていた。

歩行者は歩行者で、
スマホをいじっていて、
車に気づいていない。

こういう場面に、
日本人の特有さが
みられるような感じがします。

歩行者の信号が青だから安全、
と他人の運転が安全と思い込んでいるから、
スマホをいじっていられる。

気づかず、歩行者のところに
突っ込むやつも、
それに気づかないやつも、
どっちもどっち。

信号が青だからって、
どうして他人を信じられるのか?

流行れば、
それが良いものと思い込み、
善悪はマスコミに煽られば、
それが正しいと信じ込み、
ルールで決まっているから、
安全だと他人を信じる。

それで本当に、
自分の身体で意識で魂で
生きているのでしょうか?

日本人が団結しやすいのは、
他人の意識で生きられる、
という習性のおかげではあります。
でも、他人意識で生き過ぎれば、
自分の本当の価値観は失われる。
それにも気づけない。

目の前に起こる現象より面白いものは、
本当はないのですけどね。  

Posted by 気功神田 at 01:06